【いずみ中田店|いずみ萩丸店|いずみ領家店】1月24~25日 福島県いわき市に行って・・・
1月24~25日、震災・津波・原発事故の被害を受けている福島県いわき市に行ってきました。
3月11日から10カ月が過ぎました。福島県浜通りの津波被害は、海岸線に平行して走っている山々に助けられて、他県に比べて被害は小さく、そのためにメディアにはあまり取り上げられません。
今回、いわき市の海岸線60㎞を車で走りました。
港には船が戻ってきましたが、漁はできません。
不思議なのは、いわき市の最南端の茨城県の境界にある勿来(なこそ)港の漁は禁止されていますが、ほんの数分隣の茨城県平潟港の漁港は魚も水揚げされ、大変賑わっています。
福島県の海に放射能が留まっているわけでもなく、まして海には境界もなく、海はいつも流れています。海まで県引きしてしまうことを、誰が決めたのでしょうか?
全てが津波で壊されたところに、鳥居が不思議と残っていました。



今回目についたのが大被害にもめげずに再開しているお店でした。
以前、WE21のメンバーがいわき市のNPOザ・ピープルを訪問した時に、
昼食をとった食事処も再開していました。
10カ月経った今、資金とパワーのある店は再開し、
そのような資源のない店は再生が不可能となっています。
これも、現実の厳しさであり、被災者の中の格差を見ました。
いわき市に限らず、津波被害を受けた地域の復興は、
まったく手が付けられていません。
海が目の前にある保育園の跡に行きました。
この保育園の近くにある水産高校の生徒たちは津波を予知し、
子どもたちを背負って山に逃げたので、子ども全員を助けることができました。
この地域は、防波堤に遮られて住宅から海は全く見えません。
そのために海への危機管理能力が充分に働かなくなったのかもしれません。
津波の跡地には、子どもたちが使ったトイレや手洗い場だけが残されていました。
それを見ていると子供たちの遊んでいる声が波間から聞こえてくるようでした。



新興住宅地の中に建つ1200戸の仮設住宅地に行きました。
3か月前にも行きましたが、新築の家の建設ラッシュになっており、
この間の変わりように驚きました。
仮設住宅の目の前に大きな家が建設している現実を見て、
複雑になりました。
聞けば、仮設住宅の人も住宅を建設しているとのこと。
ここでも、避難者の中の格差を感じました。
また、避難地域の広野町の原発通行止めまで行きました。
行き止まりの道路には、物々しく警備員が立ち、
その脇にはパトカー2台、大型警備車3台が止まっていました。
どうやらテロ対策のようです。
広野町は半径30Kに位置し、避難地域です。
お天気が良く洗濯日和でしたが、洗濯物を干している家は全くありません。
どの家も窓を閉め、車を放置して避難していました。
ただ、原発作業員のために、民宿とガソリンスタンド、コンビニが開いており、
何とも異様な雰囲気でした。

今回、目についたのは火力発電所の煙でした。
原発立地地域には、同時に火力発電所も建設されています。
原発が止まっている今、広野や勿来(なこそ)などの火力発電所の煙が、
冬空にまっすぐ上がっていました。
これも東京電力の火力発電所であり、首都圏の生活のための電力です。
人気の全くない広野の街に煙だけが息づいているようでした。

そして、新たなエネルギー政策として、いわき市では洋上風力発電計画があります。
この電力は、また首都圏に送られます。
この建設では、さまざまな利権が動くことになるでしょう。
福島は原発の情報ばかりで、市民の生活や町の様子などの情報は、
あまり報道されていません。
特に、いわき市はその先が原発立地ため、現在は行き止まりとなっています。
行き止まりと情報の関係あるのか分かりませんが、いわき市の情報は特に少なくなっています。
昔、遊んだ海岸線には、分別された瓦礫がきれいに山々になって並んでいました。

今、私たちに必要なのは「認識と覚悟」です。
現状を正視し、次世代により良い形ですべての資源を残していく
環境を作る覚悟を持たなければ、
日本は永久に変わらないことを、被災地は教えてくれています。
(報告:WE21いずみ運営委員 郡司真弓)
