文字の大きさ

共育・政策提言

【共育・政策提言】アジア・友だち・みらい貯金報告会 「アフガニスタンからサラーム(こんにちは)!」報告レポート

日本国際ボランティアセンター(JVC)アフガニスタンスタッフの報告会
「アフガニスタンからサラーム(こんにちは)!」報告レポート

日時:2015年6月5日(金)10:00-12:30
場所:かながわ県民センター 303号室
報告者:トラブ・ハーンさん(会計担当)、 モハマド・ラヒームさん(看護師)、加藤 真希さん(アフガニスタン事業担当)

[1]話を始める前に
 報告会であれば彼らがいなくてもできるということで、今回は、いらしたJVCスタッフ2人の生い立ちを聞く会となりました。

アフガン報告会.jpg


[2]アフガニスタンの現状
 現在アフガニスタンでは、4/18(土)に起きたカブール銀行自爆テロによる衝撃が続いています。ジャララバード市内にて起こったこの事件では、33名の民間人の命が奪われ、支援先であるゴレーク村でも犠牲者が出ています。。政権交代によって、以前にも増して治安は悪くなりました。入国制限もあり、頻繁に支援地域どころか、故郷にさえ足を運ぶことはままなりません。それでもJVCスタッフである彼らは諦めずに村での支援活動を続けています。

[3]人生
(1)モハマド・ラヒームさん(40代)の場合
アフガン報告会-4.JPG 私は1970年くらいに、アフガニスタン東部に生まれました。79年のソ連侵攻と、続くアフガニスタン内戦により、私が幼い時に父が亡くなりました。一家の大黒柱を失った私たち家族は難民となり、叔父の住むパキスタンに移りました。親族20人くらいで住んでいましたが、それほど苦しい生活ではありませんでした。
 叔父が医師だったので、診療所の手伝いをしているうちに自然と看護師になりたいと思うようになりました。そんな中、高校卒業を目前にして母を亡くしました。父の時よりもショックが大きく、軽いうつ状態にまでなりました。その後、看護師の道を目指して資格をとりましたが仕事がなく、やむを得ず3年ほど農作業に従事しました。この時は辛かったです。
 そんな中結婚をしました。その時私は22歳、妻は14歳でした。9人の子どもに恵まれ、今度10人目が生まれます。結婚の翌年、ナンガルハル大学医学部に入学しました。
 2005年には卒業し、2008年には看護師としてJVCに入りました。今では地域で保健指導を行っています。村を歩き、水の扱い方、ゴミの置き場所、食べ物の管理の仕方などを指導しています。これからも皆さまの支援金を活動に生かしていきたいです。

(2)トラブ・ハーンさん(20代)の場合 
アフガン報告会-3.JPG 私はパキスタンの難民キャンプで生まれ育ちました。そこでの生活はとても厳しかったです。家族は12人おり、それをトラックドライバーである父が支えていくのはとても大変でした。難民キャンプの中の学校は設備が不十分であり、パキスタンの学校のように、机と椅子で勉強するのが私の夢でした。小・中・高と進み、2006年には医学部に入学できました。しかし、家計が苦しかったため7か月で退学せざるを得ませんでした。父の進めで医者を目指していたのでとてもつらかったですが、その時私の中で父に代わって家族を支えようという決意が生まれました。
 2008年には結婚し、3人の子どもに恵まれました。奨学金で情報学校に通い、経営の勉強をしました。その傍らで、石油会社の会計を担当しました。2011年からはJVCの会計担当として働き始めると同時に、長年の夢であった大学の経済学部に入学しました。とても嬉しかったです。今月の6/18には卒業します。

[4]9.11が起こったとき
(1)トラブ・ハーンさんの場合
 米軍基地が近く、ミサイルが落ちることがあったので、子どもたちは自分の地元の田舎に疎開させました。私自身は仕事があったので、いつでも逃げられるようにして、そこにとどまりました。街は静まり返り、犬も猫も歩いていないような状態でした。

(2)モハマド・ラヒームさんの場合 
 当時私は中学生で、パキスタンにしましたが、アフガニスタン難民が多く流入してくることを懸念して、有志でカンパを募りました。その後、予想通りアフガン難民が増大したので、バザールをして支援しました。


[5]質疑応答
Q:自分の境遇に怒りの感情を抱くことはありましたか?
A:あまりありませんが、パキスタンの難民キャンプにいた2008年にパキスタン政府から出ていくように言われたときには憤りました。西洋に対して憎しみを覚える人はいますが、最近は少なくなってきていると思います。政権は変わったものの、大変不安定なので治安はいっそう悪くなりました。ソ連侵攻以降おさまらない戦いに、人々は疲弊してきているように思えます。

 アフガン報告会-2.jpg
アフガニスタンで食べられているお茶菓子。
豆、レーズン、殻付きアーモンドを頂きながら。。

Q:マラリア患者は減っていますか?
A:一概に減っているとは言えません。なぜならアフガン帰還民の増加に伴って村の人口が増え続けているからです。ただ、彼らは蚊帳などを持っていない人が多いので、そういった人たちへ蚊帳の設置を促しています。また、ひとつひとつの家を回ってマラリアの検査を行ったりしています。そうすることでマラリアを早期発見できるからです。

Q:タリバン政権の下では、女子教育できなかったと伺いましたが、女子教育についてどう思われますか。
A:女子教育はいいことです。今は町に住む子の9割は学校に通っていますし、自分の子どもたちも行かせていますよ。娘には医者になってもらいたいと思っています。


Q:JVCが関わったことによる変化はありますか?
A:目に見える形としては、身なりに気を使う人が増えたことがあります。爪を切ったり、手を洗ったり...清潔にしておくのはわかりやすいのでよく教えています。クリニックに来る患者たちも身だしなみを清潔にする人が増えました。

Q:難民キャンプってどれくらいの人がいるのですか?
A:16万人くらいです。

Q:ほとんどキャンプの中だけで生活していたのですか?
A:そんなことはありませんよ。ペシャワールという町が近くにあったんですが、その町はアフガン難民に寛容的でしたし、私たちと同じパシュトゥー人もたくさんいたのでよく行っていました。


アフガン集合.JPG
参加者みんなで集合写真。アフガン流にスカーフを巻いて。

[6]みらい貯金を使ってくれた人へのメッセージ
 ご支援本当にありがとうございます。特に教育において本当に助かっています。教育環境を整えることはとても大切なことなのです。タリバン政権が2005年に終わり、女子教育が可能になりました。それによって生徒の数も増え、今、教育設備は追い付いていない状態です。しかし、皆様の支援のおかげで継続性をもった教育をすることができています。また、保健活動にも活用させていただいています。JVCの活動している郡ではほとんどの人がワクチンを受けられており、各家庭でのマラリア対策も促せています。しかし、ほかの郡ではまだワクチンを受けられない人もたくさんいます。支援金はまだまだ足りていないのが現状です。政府は頼りにならないので、私たちがするしかないのです。どうぞこれからもよろしくお願いします。

(まとめ:インターン 小澤みのり)

2015年06月11日 |